短期開門調査は、2002年4月24日〜5月20日に実施された


ノリ第三者委は短期開門調査として二ヶ月程度が望ましいと提言していたが、実際には1ヶ月弱で終了。
調整池水位を−1.0mを上限、−1.2mを下限とするごく限られた開門方法だった。
それでも(1)開門後3〜4日で調整池水の濁りが消え水質が劇的に改善、
(2)島原半島沿いに開門期間中に限って大規模な潮目が発生、
(3)例年は夏を越せない小長井のアサリが翌年まで生残、
(4)有明海奥部で何年も捕れなかったタイラギが立った、
(5)有明町沖合に多数の稚魚が現れた、
などの変化が生じたと言われている。



 短期開門調査関連の資料とデータ


開門前に発行された農水省のパンフ
開門総合調査について
開門調査による影響とその対策
開門調査のお知らせ
開門調査の実施について


これらのパンフでは、開門方法の工夫や事前対策によって、開門しても防災や漁業などへの影響の可能性は小さいと説明している。
実際、短期開門調査は何の問題もなく(注)実現できた。
(注:短期開門調査で小長井漁協など湾内4漁協ののアサリに被害があったとして国は6千万円の補償金を支払ったが、
組合員の話や漁獲統計からは、そうした被害の事実はなく、むしろアサリ漁獲は好結果だった。
これは開門に反対していた小長井漁協を説得するために、九州農政局と開門前に口約束されていた支出だったと言われており、
もしその通りであれば公金の違法支出であり、これに手を貸した公務員の責任が問われねばならない。)

国が97年の湾の閉め切り直後に国民世論に反して開門を拒否したのは、いったい何故だったのだろうか。
開門の決定後、わずか数日の準備で実施に移された短期開門調査の実績を見れば、
与党や行政としてのメンツが許さなかっただけではないのかと疑われる。
そして短期開門調査終了以降は、またしても農水省や長崎県は「開門は不可能」という主張を繰り返すことになった。
ただし今度は、排水門を「いきなり全開」するという前提を自ら勝手に作り上げたうえで、その場合は
調整池の大量の汚濁水が一気に海域に流れ出し、また水門周辺で洗堀が生じて
漁場に濁りが出るからという論法である。

しかし短期開門調査時には、いきなり全開などせずに調整池水質を改善していった事実がある。
中長期開門でも開門当初は短期開門と同様の制限的開門方法から開始し、
調整池の汚濁水を徐々に海水と置き換えていけば、開門当初でも現在行われている排水ほどの悪影響は出ないはずである。
もちろん開門前には、現在調整池に頼っている干拓地の農業用水源の確保が必要となるが、
周辺には諌早中央浄化センターの放流水や、取水はしたものの農業用水として使われずに本明川河口に合流させている余剰水などがある。
また開門当初は短期開門調査時並に調整池上限水位を現行の−1mに据え置くとしても、
背後地の排水対策工事が進捗すれば、それに応じて徐々に上限水位を上げていき、ついには常時開門が可能になるはずである。
これこそが漁業と農業・防災が両立しうる開門方法であろう。


排水門の操作記録データ

開門中の速報データ

●独自整理データ

短期開門調査報告書概要版(九州農政局.2003年)



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