諌早豪雨災害 1957年7月25日 の再検証

諫早湾の目次

 諫早湾干拓を推進するために,しばしば諌早水害が持ち出されます.その論理は「諫早湾の満潮と洪水が重なって被害が大きくなった.だから湾を締め切って水位を下げておく必要がある」というものです.多数の死者を出した水害を持ち出すことにより,「人命を守るために干拓やむなし」という雰囲気が作り出され,着工を実質的に決定付けました.

 ところが,はっきりしているのは満潮時刻(20:30)と洪水のピーク(21:00-24:00)が近かったというだけで,それ以上の証拠は何もありません.正しい判断をするには当時の状況をもう一度調べなおして,ひとつひとつ検証を重ねる必要があります.諫早水害は推進の原動力に利用されましたが,見方を変えれば,干拓事業にとって最大の急所でもあるのです.

諫早市街の激甚被災地
小野・森山の死亡災害現場


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http://www.fsinet.or.jp/~hoteia 制作・著作 布袋 厚 1999年